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首里20130311_首里城正殿2F連子01

19世紀に久米島の役人が書いた献上品の記録『久米島仲里間切諸村公事帳
には、久米島産の赤土が琉球王朝政庁に届けられていたことが書かれています。
また、『百浦添御殿普請付御絵図並御材木寸法記』には、正殿窓二階の連子を
“赤土塗”にしている記述がありました。

現在では、久米島内のどの地域の土壌試料が「久米赤土」の現在料自体に相当
するのかは不明です。昔放送されたプロジェクトXには、この赤土を求めて久米島
へ調査にいく様子が描かれています。

調査の結果、久米島内イクソウ地区の赤土土壌が「久米赤土」の原材料として適
当であるとして、これを精製した赤色顔料が平成の首里城復元正殿建造物の塗装
材料の1つとして調達されました。

デジタル社会となった今では、歴史的な写真をカラー化するという海外サイトがあり
ますが、そんな技術がない当時、首里城復元はモノクロの古写真からスタートしま
した。どんな色をしていたか分からないところから出発し、古文書から使われていた
色が判明、しかし久米赤土を顔料とする塗装は沖縄ではしばらく途絶えてしまった
技法のため、さらにその色を復元していくという途方もない話です。朱い正殿が当
たり前のように見られる今ではとても想像できない苦労がありました。

首里城 shuri-jo
撮影日 20130311
参考文献 『ベンガラ塗装史の研究(北野信彦)』

歴史ブログ 琉球・沖縄史

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